人の間違いか仕組みの間違いかを見極めよう

少し前の話題だが、田嶋幸三がJFA(日本サッカー協会)の次期会長予定者として再選された。

この時の投票は各都道府県サッカー協会代表やJ1クラブ代表らで構想される評議員によるもの。
出席した64人全員が賛成に票を投じた。

これに関して、ツイッターでは抗議のつぶやきがタイムラインに流れた。

やたら流れるつぶやきが、ことごとく「田嶋反対」の意思表示になっている。
「田嶋賛成」のつぶやきを、俺は見かけていない。
評議員以外でそんな人がいれば、ぜひ俺に教えてほしい。

田嶋の再選が反感を買う理由の1つに、天皇杯ファイナリストが陥る過密日程を解決しようとしない事が挙げられる。

田嶋は天皇杯決勝の1月1日の開催にこだわった。
その為に、決勝に出場していた鹿島アントラーズの冬のオフが極端に短くなってしまい、疲労が抜けきれないまま1月28日のACLプレーオフに臨み、早期敗退してしまった。

世論(=ツイッターのタイムラインでのつぶやき)では反対が圧倒的多数。
評議員は賛成が圧倒的多数。

世論と評議員の意見があまりにもかけ離れている。

ここで2通りの考え方がある。

人を疑うか?
仕組みを疑うか?

大抵の人はこういう場合、人を疑う。

誤解しないでほしいのだが、俺は「評議員は疑っていない。だから田嶋再選を俺は支持する」と言いたい訳ではない。
むしろJFAの評議員に良い印象を俺は持っていない。
ただ評議員という人だけに原因を求めた場合、「変な思考回路を持つ者の分布が評議員に偏りすぎではないか?」と言いたいのだ。

「人を疑う」とは、具体的にどういうことになるか?

人を疑うということは、仕組みを疑わないということ。
「集まった64人が64人とも、たまたま賛成派だった」ということになる。

世論では、つまり何もコントロールされていない状況ではこの場合、反対が圧倒的多数になる。

いくら反対が圧倒的多数といえども、賛成する人もいるもの。
乱暴な計算になるが、学校の1クラス40人の中に1人ぐらいは他人の痛みに無関心な者がいる。

その場にいた評議員が1人だとして、その1人が賛成票を投じる確率は40分の1。
なにせたまたま賛成派なだけなのだから。

その場にいた評議員が2人になったとして、2人とも賛成票を投じる確率は40分の1の2乗。
つまり1600分の1。

この時点で確率が0.1%を切っている。

その場にいた評議員が64人なら、64人全員が賛成票を投じる確率は40分の1の64乗。

つまり3÷(10の102乗)。

十は10の1乗。
百は10の2乗。
千は10の3乗。
万は10の4乗。
億は10の8乗。
兆は10の12乗。
京は10の16乗。

どんどん桁を上げていく。

無量大数は10の68乗。

これ以上大きな桁は、日本語にはない。

で、10の102乗。

そんな天文学的な数で割るほど可能性がゼロに近い、カラスが針の穴を通るような話などありえない。

これが、この場合の「人を疑う」ということだ。

たまたま64人が集まっただけでは、こうはならない。

ここで「仕組みを疑う」という考え方が出てくる。

この場合の「仕組みを疑う」ということは「賛成派が自動的に64人も集まる仕組みをあらかじめ作っていた」ということだ。

ここでガラリと話題を変えよう。

大手の企業で「新しいアイディアを形にしよう」と平社員が思えば、どういう手続きを踏むことになるか?

平社員が書いた企画書をもとに、稟議書が作られる。
その稟議書には、上司数名分の押印欄がある。

稟議ではなく会議にかけられる場合も、少ないけどある。
その会議ではたいてい事前の会食での根回しが効いていて、会議の前に結論が決まっているものだ。

これが当たり前の光景だ。

この当たり前の光景を疑おう。

稟議や会議で新しいアイディアが可決されたことがどれほど有ったか?

ほとんど無いはずだ。

稟議書には何人もの人達が印鑑を押す。
その中の1人でも反対する者がいれば、そのアイディアはゴミとして捨てられる。

大企業の役付けの人達は、変化を嫌う。
そんな人達数人全員の賛成を取り付けるのは、至難の業だ。

だから稟議という仕組みでは新たなアイディアは通らない。

会議ではとにかく時間がかかる。
その間に世間の状況が変わり、アイディアを形にする意味がなくなってしまう。

会議という仕組みでもアイディアが形になることはまずない。

そうは言っても、今は情勢の変化が激しい。
終身雇用も年功序列もなくなった。

ではなぜ、大半の大企業のトップは稟議や会議という物事を決められない手段にこだわるのか?

社内での既得権益にしがみつくのが目的だからだ。

さて、ここでJFAの話に戻ろう。

決断の手段に会議室での投票を選ぶということは、評議員が会議室に行く必要がある。

会議室に行くための条件とは何か?

その会議の時間帯に空いていることだ。

つまりヒマ人だ。

ヒマ人なら、投票の前に会食に行く時間もある。
物事をよく考えない者たちが抱き込まれる。

ヒマ人でない者には仕事が次から次へと舞い込んで、トリアージに沿って片っ端から用件を処理する。
そんな忙しい者が評議員にいるとは思えない。

ヒマ人という事は、普段からあまり仕事をしていない。

仕事が出来る人に仕事が舞い込むから、忙しい人には仕事ができる人が多い。
誤解を恐れずに書くが、一般的にはヒマ人には仕事ができない人が多い(もちろん例外もいるが)。
そういう人が何かを決めても、ロクな事にならない。

さて、田嶋はJFAのトップ。
評議員も都道府県のサッカー協会やJ1のクラブのトップ。

彼らの大半は体育会系的な組織で何十年も過ごしてきた。
彼らはその体育会系的な組織の最高峰にいる。

体育会系とは「上役には絶対服従」。
そこには下の人の感情や意見を上の人が酌むというプロセスが乏しい。

そういう組織の最高峰の人となると、痛みに無関心な人間である可能性が高い

「上役には絶対服従」とは、仕組みを疑うことを許さない仕組みでもある。

「元旦に試合させて選手を疲弊させる仕組みがある」

こういう事に頭が回らない人を評議員にする仕組みをJFAが作った。
だからトンデモ案件を通す者を全会一致で可決する異常事態が起こる。

俺はJFAの人間ではないので、実際のところ本当にこうなっているかは分からない。
ただかなり近い線を行っているのではないか?

少なくともカラスが針の穴をくぐりぬけるほどのあり得ない話ではない。

仕組みを疑うと、これだけ物事が見えてくる。

選手の疲労を一切考えない者がスポーツの組織の長に全会一致で可決されるのは「ヒューマンエラー」ではなく「システムエラー」だ。

だから仕組みを変えないと。

どう変えるか?

忙しい者を評議員に招き入れる事だ。

外部の血を入れよ。
それも形だけの第三者ではなく、国際大会での真剣勝負の経験が豊富な者を。

そういう者は例外なく忙しい。

ACLはもちろん国際大会だ。
外国で外国のクラブと戦う大会だ。

日本代表が闘う大会だってそうだ。

JFAの大切な活動として、日本代表の充実がある。

対戦相手は全員外国人。
そんな相手に、外国人枠ゼロのチームが結果を出さないといけない。

そうなると国際的な場で真剣勝負をした者が必要だ。

そういう者は、この状況では当然「天皇杯を元日に」なんていう案に反対する。

但し忙しくて中々会議室に行けない者を評議員に招き入れただけだと、その者は発言も投票もできなくなってしまう。

会議室に評議員が集まるのは必要最低限にして、定例報告の類はSkypeで済ませる。
投票はインターネットで行い、忙しい者も議決に参加できるようにする。

こうすれば忙しい者でもJFAの案件に関われる。

JFAの件は正直、俺たちにはどうする事もできないかもしれない。

但しそこまで大それたことでなければ、なんとかなることもある。

身の回りの事なら、仕組みを変えて忙しい人に決めさせる事で解決する場合がある。

人を疑って行き詰まるなら、仕組みを疑うのも1つの手だ。

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