聞けなくなりつつある除夜の鐘

除夜の鐘を取りやめる動きが出てきている。

これまで寺で撞かれてきた除夜の鐘は、大晦日の風物詩だった。
これを札幌や浦和などの複数の寺院が取りやめる動きが出てきている。

寂しい話題だ。

中止に至る原因は色々ある。

色々ある原因は、大きく分けて次の2つに分けられると俺は思っている。

◆真夜中に撞く鐘の音が、一部住民にとって騒音になる
◆大晦日から元旦未明にかけて近隣の住民が手伝わされて疲弊する

前者の場合は「住民が不寛容すぎる」と思う。
後者の場合は「寺側に原因が有る」と思う。

それぞれについて、俺の思いを書く。

まず「鐘の音が騒音だから」という場合について。

「言いがかりだ」とまでは言わないが、俺の感想としてはこれに近い。

近年では寺の近くにもマンションやビルが立ち並び、環境が変わってきている。
特に都心部では住民の移動が激しく、寺独自の風習に不慣れな人もいるだろう。

だが「うるさい」と文句を言うのは、やり過ぎだ。

もし毎晩鐘を鳴らされていたなら、話は分かる。

1年に1度しか鳴らさない恒例行事だぜ?
煩悩を払うための鐘だぜ?

「寺の鐘の音がうるさい」という意見が通って除夜の鐘が中止になるなら、「ビッグベンの鐘の音がうるさい」という意見も通ることになる。
毎日ロンドンで聞こえるビッグベンの鐘の音がなくなることになる。

ロンドンにそんなクレームを入れる人がいるか?

「子供の声がうるさい」と言って保育園の建設に反対する。
「鐘の音がうるさい」と言って除夜の鐘を取り止めさせる。

最近はどうも不寛容な人が目立つ。
「自分さえ良ければ」「今さえ良ければ」という人が多くなったようにも思う。

保育園がなくなれば、小さな子供を持つ母親が窮地に立たされる。
それを怖れて妊娠や結婚を控える人が増えることになる。
あるいはそういう夢を叶えるために違う街に移住する世帯も出てくる。

20年後、30年後には働き盛りの若者のいないゴーストタウンになるだけだ。

除夜の鐘を見に来る参拝客がもたらす賽銭は、寺にとっては大事な収入源。
その大事な収入源が見込めないとなると、誰にも継がれなくなる寺が出てくる。

寺が幽霊屋敷になれば、街のウリが減ることになる。
街にとっても観光収入が目減りすることになり、こちらも死活問題に発展する。

クレームを入れた人は、そういう責任を絶対に取らない。

だからこういう場合は、寺側が毅然とした態度を取ってほしい。

今はSNS社会だ。
本人にクレームを入れなくても、本人に親しい人に匿名で悪口を大量に入れて、本人を孤立させる手段を選ぶ輩もいる。

こんなのは本人だけでは解決できない。
何が有っても自分たちの幸せを守れるように、普段からしつこい位周りの人たちに意識を徹底させるしかない。

さて、「大晦日に手伝いのために借り出された住民がキレた」という場合について。

こちらの場合は完全に寺側が悪い

いくら寺の近くに住んでいるとはいえ、年末年始の自分の家の諸々の準備を犠牲にしてまで寺のために無料奉仕しなければいけない筋合いは、住民にはない。

寺の周辺の住民を強制的にタダ働きさせれば、中止を要求されるのは当然だ。

参拝客対応は寺の人達だけで完結できるようにしておくのが筋だ。
それがどうしてもできなければ、せめてアルバイトを雇うべきだ。
タダで働かせる事自体が、倫理的におかしい。

こういう意見を出せば、当然こんな反論が予想できる。

「神聖な宗教行事を外部の者が執り行うのか?」

仮にそう訊かれれば、俺は即座に「その通りだ」と答える。

だってそういう寺では、そもそも今まで住民という「外部の者」が宗教行事を執り行ってたじゃないか。

これがもし今まで近隣住民を召集することなく、寺の人だけで宗教行事をしてきた寺なら、もちろん俺は「アルバイトを雇え」とは言わない。

生活様式が変わり、騒音のクレームが出てきた。
今までさせられてたタダ働きの文化を「おかしい」と気付いた。

今が日本の風習を見直す時期かもしれない。

※本ブログの広告からの収益金の1%を多発性硬化症や視神経脊髄炎の患者の支援団体であるMSキャビンに寄付いたします。

◆こちらの記事もオススメ
子供の未来を決めるのは教育だ
日本の学校教育とは軍隊教育の延長だ
サービス業の従業員もプロの選手も正月ぐらい休もう

Follow me!