サポーターの文化とはゴール裏の文化だけなのか?

「浦和レッズサポーターの文化」とは「埼玉スタジアム2002の北側ゴール裏に陣取る人達の文化」だけなのか?

黒服の人達がチャントをリードして選手を鼓舞するレッズサポーターの迫力ある応援は、世界的に影響を与えている。

レッズサポーターはコレオグラフィーをビジュアルサポートと呼ぶ。
一斉にサポーターが原色のビニールシートを掲げた時の、緻密かつパワフルなデザインが埼スタに映える姿に憧れる人達も多い。

それでも「レッズサポーターの文化」=「ゴール裏北の文化」というのは、違う。

たとえACL決勝第2戦という、クラブチームが埼スタで行う究極のタイトルマッチであってもだ。

ゴール裏北に陣取るサポーターズグループ達は、スマホでライトをかざす類の緩い演出を嫌う。

これでアジア制覇するチームが決まる試合でのハーフタイムに、スタジアムDJがスマホのライトを点けるように促した。

その結果、埼スタの観客席はライトの光で一杯になった。

指定席やゴール裏に初めて行く人が座る席と言われている南側ゴール裏では、ライトを点けている人が山ほどいた。
それどころか北側ゴール裏でさえも、ライトを点灯させっぱなしの人が両端に結構いた。
点いていないエリアは、北側ゴール裏の中央付近だけだった。

「北」でスマホライトを点灯させた者がいた事を嘆くレッズサポーターは多かった。
「北」以外のエリアでも点灯していた事を嘆くサポーターは、少数だがいた。

「北」には「北」の文化がある。

「携帯電話でライトをかざすな」
「写真や動画撮影を控えろ」
「隣の奴よりデカい声出せ」
「飛び跳ねて応援しろ」
「旗でピッチが見えなくなってもいい」

これらのルールを破る行為を「北」でやるのは間違っている。
「北」でスマホライトをかざしたり試合中に地蔵になったりするのは間違っている。

なぜならこれらは「北」の文化であり、その者がいる場所は「北」だからだ。
文化は文化として認めるべきだ。

では、これらの文化を「浦和レッズサポーターの文化」としてまとめるのは正しいのか?
「ゴール裏以外でも必要なのは声と応援。それ以外は要らない」を押し通すのが正しいのか?

それは違う。
少なくとも現時点では違う。

浦和の漢は結果で語る。
それならば、ゴール裏以外で多くの人達がライトをかざしている「結果」も認めるべきだ。

埼スタの観客席は「北」だけじゃない。
「南」も指定席もある。
そこに座る人達は、「北」の人達とは立場も優先順位も違う。

これらの席には「北」とは違う文化がある。
文化は文化として認めるべきだ。

それではなぜ、ACL決勝の日に同じレッズサポーターが同じスタジアムに集まったのに文化が割れたのか?

普段の試合の観客動員数とこの日のそれを比べれば分かる。

普段の試合とは、Jリーグの公式戦だ。

2019年のJリーグでの第33節までの埼スタ開催試合の平均観客動員数は33,372人。

ACL決勝第2戦での観客動員数は58,109人。

単純計算で33,372÷58,109=57%
非常に雑に計算したとしても、ACL決勝の日に埼スタにいた観客の4割強が「レッズに馴染みの薄い人」という事になる。

これらの人達が「北」の文化を知らないのも、無理もないではないか。

ところで俺はゴール裏以外の文化を「認めるべきだ」とは書いた。
だがゴール裏以外の文化に「服従しろ」とは書いていない。
むしろ熱く熱狂する「北」の文化をレッズサポーター全体の文化として、俺も心の底から認めたい。

だがそんなの、土台ムリ。

他人の心まで自分の自由にならないからだ。

「北」の文化をレッズサポーター全体の文化として認める行為は、よくよく考えると問題がある。

ニワカサポーターがコアサポーターにならずにスタジアムから遠のき、観客数の減少に直結するからだ。

埼スタにいるサポーターの中には、子供連れもいる。
親が迫力ある応援をしたくても、サッカーを楽しんで観たい子供の手前出来ない場合がある。

彼女連れもいる。
大舞台の雰囲気を味わわせ、どうにかして彼女をサッカー好きにさせようと指定席に招待する場合もある。

こういう人達が、もし1人でスタジアムに行くのが許されない状況にいたとすれば?

レッズを取るか、恋人や家族を取るかの二択になってしまう。

埼スタに行く人はサポーターだけではない。
スポンサーの人達だっている。

職務上の立場の手前スタジアムに通い詰める訳にはいかなくて、クラブに協力できるのが金銭面ぐらいしか無いとすれば?

そういう人達が声と応援を強制されれば、どうなるか?

窮屈さを嫌ってスポンサーから降りてしまうだろう。
それが進めば、やがてレッズは資金難に直面する羽目になってしまう。

他人の考えを変える事はできない。
無理に変えようとすれば猛反発を招くだけだ。

「ビニールシートを掲げる様に」
「今日は声出して応援するように」

「北」以外の人達に対しては、こんな感じに提案するのが精一杯だ。

この人達に対し、4割もいたであろうニワカに対し、提案ではなく強制する所まで踏み込んではいけない。

愛の形は人それぞれ。
だからこそスタジアムでは座席のゾーンが区画化されている。

ゴール裏の文化を他の所に押し付けるべきじゃない。
たとえタイトルマッチであってもだ。

俺も最初はニワカだった。
俺がサッカーに興味を持ったのは2002年の日韓ワールドカップの時だ。
当時の俺は渋谷のセンター街で「ウェーイ」とやっているニワカサポーターだった。

その後サッカーの面白さにハマった。
やがて今の様なコアサポーターになった。

もし俺が最初にサッカーに触れ合ったのが日韓ワールドカップではなく埼スタなら、同じように「南」でウェーイとやっていただろう。
スタジアムDJに促されるままスマホライトを点けっぱなしにしていただろう。
そして同じようにサッカーの面白さに触れ、「北」で熱狂的なレッズサポーターになっていただろう。

俺自身がウェーイな緩いニワカからコアサポーターに化けたサポーターだ。

この可能性を閉ざしてはいけない。

それに食わず嫌いで通すのもよくない。

もし俺が「北」にいれば、スマホライトを絶対に点けない。

ただACL決勝で俺がいた席は「南」
せっかく「南」にいたのだから、ハーフタイムの時に試しに一瞬だけ点けてみた。

点けてはみたが「やっぱり俺には合わない」と思い、すぐに消した。

やってみて、しっくり来れば続けたりのめり込んだりすれば良い。
「違う」「合わない」と感じたらやめればいい。

愛には色んな形がある。
だから絶対に頭ごなしに否定してはいけない。

それに「迫力ある」という事は「怖い」事と表裏一体だ。

それでも大一番でスタジアム全体を迫力ある雰囲気にしたければ、その大一番でニワカサポーターが4割もいる状況をまずなんとかするのが筋だ。

普段来ない人が何割もいる。
だから緩い雰囲気の箇所が出てくる。

まず他の人に働きかけるべきだ。
普段のJリーグでも埼スタが埋まるように。

観戦初心者に来てもらうのに「迫力一辺倒」では行き詰まる。
「怖い」と思われて敬遠されてしまう。

まずスタジアムに連れて行くのが先決だ。
そういう人に対し声とか応援とか求めるのは、ずっと後でいい。

埼スタを経験した人達の中から、「北」の迫力に衝撃を受ける人が必ず出てくる。
それから熱狂的サポーターに化ける人もいる。

そうすれば、気がつけば大一番でスタジアムの至る所で迫力溢れる雰囲気が出来上がる。

もちろんそこまで至るには、かなりの時間がかかる。

その時間をショートカットしようとするな。

Love football?

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