ラグビー日本代表への拍手喝采の理由と教訓

ラグビーのワールドカップで、日本代表が準々決勝で幕を閉じた。

自国開催のこの大会は、ラグビーに熱狂するニワカファンを大勢集めた。

試合自体は、見ていて気の毒な位一方的なものだった。

前半からスクラムで体力負けを起こしていた。
唯一日本代表が得点出来たのは、反則行為で対戦相手の南アフリカ代表が1人少ない状況で闘っていた時間帯だけだった。

後半になると易々と突破を許す場面が増えた。
試合終了時のスコアは3-26だった。
絶好機での南アフリカ代表選手の度重なる凡ミスが無ければ、スコアは3-40位になっていただろう。

ただ、試合終了後の東京スタジアム(味スタとは言わない)では日本代表の選手に向けての拍手喝采が止まなかった。

史上初のノックアウトステージ進出を果たしたからか?

それだけではない。

どんなに勝利が絶望的になっても最後まで諦めないからだろう。

力の差をまざまざと見せつけられ、点差がどんどん開いていく。
逆転に許された時間も刻一刻と無くなっていく。

大人が実社会でそういう状況に立ったとき、闘うことを諦めてしまう人達が大半だろう。
大人どころか、プロのアスリートでさても勝負を投げてしまう者もいるだろう。

だがラグビー日本代表は、投げなかった。
試合終了の瞬間まで勝負に食らいついた。

その姿が見る者の胸を打たないはずがない。

麻雀で「雀鬼」と言われて恐れられた桜井章一の記事の一節を思い出す。

「3シャンテンしかたどり着けない配牌を貰ったら、全力で3シャンテンに漕ぎ着けろ」

「3シャンテン」というのは、上がるために牌交換を最低でも3回必要なことを指す。

人から応援されるためには、たとえ勝ち目のない勝負でも全力で闘う部分が必要だと改めて痛感した。

そしてラグビー日本代表が惨敗してもなお観客からの支持を得ている理由がもう1つある。

日本代表の選手は多くの物を犠牲にしているからだ。

家族との時間。
自分の時間。

そういうのを全てラグビーに捧げてきた。

ラグビーに打ち込むからといって、何もかも犠牲にしていい訳ではない。
家族そのものの様に、犠牲にしてはいけない物事もある。

ただ日本に1つしかないチームであるラグビー日本代表の一員として結果を出していくなら、家族との時間は犠牲にしなければいけない。
そこは家族に理解と協力をしてもらうべきだ。

そこまで求める以上、当然自分の時間は真っ先に犠牲にする必要がある。
国内リーグを並行して闘っている選手なら尚更だ。

オフシーズンの旅行。
週末の酒場でのひととき。
場合によっては自分の青春。

そういう事を犠牲にし、替わりに得た時間をラグビーに投資する。
だからこそ過去の日本のラガーマンの誰もなし得なかった偉業を達成できた。

これはラグビーだけではなく、サッカーや野球、バスケットボールなどのあらゆる国家代表選手にも言えることだと思う。

長年サッカー日本代表の主将として奮闘してきた長谷部誠が代表引退したのも、おそらく色んな事を犠牲にしてきたからだろう。

プロのアスリートには、残念ながら自己犠牲の精神のカケラもない選手がいる。
そういう選手にしてしまうフロントがいるクラブがある。

クラブチームのダービーで選手生命も賭ける気のない選手ばかりのチームが、良い結果など出せる訳がない。

ゴミで鯛を釣る事ばかり考えている者は、鯛なんか釣れない。
どんなに希望的に見積もっても、痩せた小魚を釣り上げるのが精一杯だ。

鯛を釣りたければ、専門店に行って餌に投資しなければならない。
釣れるポイントを探すために、時間を犠牲にする必要もある。

何かを犠牲にする。
犠牲にした何かを、大きな事に投資する。
だからこそ大きな事を成し遂げられる。

サッカーでも度々目にしてきた教訓だ。

No pain, no gain.

世の中の大原則は等価交換だ。

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