トロッコ問題について考える

山口県の小中学校で「トロッコ問題」を資料にした授業があり、「授業に不安を感じている」として児童の保護者からのクレームで学校側が謝罪したという。

トロッコ問題はどんなものだろうか?

線路走行中のトロッコが操業不能に陥った。
猛スピードで走るトロッコの先には、線路が二又に分かれている。

あなたがたまたまその二又の分岐器のすぐそばにいる。

二又の先の線路の上には、一方には5人が動けずに横たわっている。
もう一方にも1人がそうしている。

あなたが分岐器を動かしてトロッコの進路を変えれば5人の命が助かるが、1人が死ぬ。
変えなければ1人が助かり、5人が死ぬ。

この問題の場合では分岐器を動かす事と動かさない事以外の選択肢は認めない。
これ以外の選択肢は無効解答とみなす。

無効解答、および何も解答がなかった場合は、「分岐器を動かさない」という決断をしたものと判断する。

ここで性格の悪い俺は、鬼設定を2つほど追加する。
山口県の小中学校の授業でも、こんな鬼設定は加えなかったに違いない。

まず鬼設定の1つ目。

あなたはこのトロッコによる犠牲者に大して全ての責任を負うものとする(オリジナル設定では何も責任を負わない)。
なぜならあなたは分岐器の最寄駅の駅長だから。

そして鬼設定の2つ目。

暴走トロッコが分岐器の前を通過するまで、あと1分ほど。
つまり制限時間1分。
分岐器を動かすか動かさないかを、この1分間で決めろ。

さあどうする?

チキチキチキ…

チーン。

あなたは答えられただろうか?

「5人の命は1人の命より重い」と単純に数で割り切っていいものなのか?
5人を助けるために、1人を殺してもいいのか?
亡くなった1人の遺族から「ウチの子を返せ!」と叫ばれれば、どうするつもりなのか?

「1人」の方があなたの妻や夫なら、分岐器を動かせるのか?
さらに残り「5人」の中にあなたの子供が入っていれば、決断を下せるのか?
あなたは残りの人生をどう生きていくつもりか?

何も手を下さないとどうなるか?
「私は分岐器に触りませんでした」と逃げ切れるものなのか?

「駅長という責任の重い立場にありながら、5人もの尊い命を見殺しにした奴」と週刊誌は書き立てる。
特に遺族はあなたをそう断定する。
一生あなたは重荷を背負って生きていけるのか?

これほどの酷な選択肢の中から、そもそも1分間で決断できるのか?
刻一刻とトロッコが迫りくる緊迫した状況で、正気を保てるのか?

この問題に正解はない。
どちらを選んでも、何も選ばなくても、誰かを殺す決断をしたことになる。

実社会では正解のない問題だらけだ。
学校のテストのように正解がある問題は、実社会ではむしろ少ない。

この鬼設定の付いたトロッコ問題なら、学校の授業でやればさすがにクレームを入れる保護者がいても当然だと思う。

ただし実社会では、こういう極限状態で究極の選択肢を取らなければいけない時があり得る。

例えばあなたはバスの運転手。
熱海の長い長い下り坂を下りている最中だ。

たまたま車や通行人が頻繁に飛び出し、ブレーキを使い過ぎた。
それが原因でブレーキの空気が無くなり、走行中にもかかわらずブレーキが効かなくなってしまった。

少し先の路上で、なぜか人が5人倒れている。
その手前に、ブレーキが効かなくなった車用の退避スペースがある。

だが残念なことに、その退避スペースでも人が1人倒れている。

退避スペースへの別れ道まで到達するのに、わずか2秒!

先程の問題と同じ決断を、この運転手の場合は2秒で下さなければいけない。

あるいはトロッコ問題の変形として、こういう例が考えられる。

川の河川敷にテントを張って生活するホームレスが数十人いる。
あなたはこの川の流域の市の市長だ。

再三の生活支援や立ち退き請求にも、ホームレスは応じない。

ホームレス問題を採り上げるメディアからは、こんな事を書かれている。

「生活支援とやらの生活が出来ないから、河川敷で寝泊まりしているんじゃないのか?」
「ホームレスから最後の砦を奪う気か?」

ある日超大型の台風が、その市を襲う。
どっと降った雨水が溜まり、川の上流のダムは満水近くまできている。

満水になるまで、あと30秒の見込みだ。
この30秒間でダムの水を放水するかしないかを決断しないといけない。

今すぐにでも放水しないと、満水になったこのダムは決壊する。
そうなれば下流流域の住民から犠牲者が大勢出るのは確実だ。
当然世間からもメディアからも猛烈に叩かれる。

さてダムの水を放水すれば、大量の水が川に流れる。
河川敷にももちろん水がドバッと行き、テントごと流されるだろう。

だからこそあらかじめ防災放送で河川敷から避難するように繰り返しアナウンスしていた。

だがホームレスにとって避難することは、最後の砦を失うこと。
再三の退避勧告にもホームレスは応じない。

この状況で市長が「放水する」と決断すれば、河川敷の数十人のホームレスの命が犠牲になる。
この選択肢を採った場合も、世間からもメディアからも猛烈に叩かれる。

大きな組織の長の立場にいる者には、人を殺す決断をしなければならない時がある。
それにまつわる責任は一生付いてまわる。
長には想像を絶する苦悩がある。

「どちらを選んでも誰かを殺す」という究極の選択肢に直面する場合は、一般人にとってレアケースかもしれない。
ただ「どちらを選んでも誰かが不利益を被る」程度の選択肢なら、リーダーを経験した者なら直面したことが有るはずだ。

例えば菓子が職場の人数分もないのに、分けなければいけない場合。
部下の誰かを休日出勤させなければいけない場合。
似た力量の選手が2人いて、監督が試合に出す1人を選ばなければならない場合。

どれも人を殺す決断ではない。
ただしそのどれもが誰かに不利益を押し付ける決断であり、リーダーは恨みを買うことになる。

「リーダーにはこういう苦悩があるんだ」

と理解する上では、トロッコ問題は意義のある問題だと俺は思う。

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