ゴールキーパーのあり方を変えた男

野球でいる「ライパチ」のポジション。

一番打球が飛ばないライト。
重要度の低い下位打線の8番。

ゴールキーパーは、昔は「ライパチ」のようなポジションだった。
足がのろくて運動神経の鈍い奴がやるのが定番だった。

それが、川口能活が表舞台でゴールマウスに立つようになってから一気に花形になった。

1996年のアトランタオリンピックでは、ロベルト・カルロスやベベット、リバウド、ロナウジーニョなどの錚々たるメンバーを向こうに回し、シュートの雨あられを浴びながらも優勝候補のブラジルに対して失点ゼロに抑え、「マイアミの奇跡」の立役者になった。

2004年のアジアカップでは、準決勝のバーレーン戦で観客席に現地の中国人がなだれ込む完全アウェーの状況でPK戦にもつれ込んだ。
日本の左利きの選手の代表格である中村俊輔、三都主アレサンドロが次々とめくれた芝に足を取られてPKを失敗する姿に見兼ねた主将の宮本が主審に抗議しに行った。
その結果、PKは逆側のゴールマウスで行われるようになった。

そこからの川口は凄かった。
恐るべき集中力をフルサイズで発揮し、PKスコア1-3で「決められたらそこで試合終了。敗退決定」という絶体絶命の状況でセーブを交えてゴールを防ぎ続け、逆転勝利の主役になった。
PKで4度続けて被弾を許さなかった試合は、その後お目にかかった事はない。

1998年頃に来ていた日本代表のユニフォームは、炎のデザインが特徴的だった。
ゴールキーパーは一際炎が目立つデザインになっていた。
代表の歴代のユニフォームで一番カッコいいのは、そのユニフォームだと俺は思う。

その炎のユニフォームが川口ほど似合う選手を、俺は知らない。

世界中を探しても、彼ほど華のあるゴールキーパーは片手で数えるほど。
ノイアー、チラベル、ロジェリオ・セニ、カンポス、カーン。
川口は間違いなく世界を代表するゴールキーパーだった。

ただゴールマウスに立っているだけの選手ではない。
セーブで失点を防ぐだけでなく、コーチングで味方を怒鳴りつけたり絶妙なポジショニングで胸でボールを抑えたりする姿は多くのゴールキーパーにとって理想像とされた。
彼に影響を受けてゴールキーパーになった人は多いだろう。

川口は間違いなくゴールキーパーのあり方を変えた。

その川口が、今シーズン限りで現役引退を発表する。

20年以上もプロの世界でゴールマウスを守り続けてきた。
アマチュア時代も含めれば、ゴールキーパー業ひと筋で生きてきたと言っていい。

彼が所属するSC相模原はJ3の、しかもJ2ライセンスを持たず好成績を挙げてもJ2に昇格出来ない。
そんなクラブに居るにもかかわらず、ホーム最終戦は1ヶ月ほど前の時点でチケットの売り上げが好評だ。
このペースだと間もなく前売券は完売する。

それほど華のある選手が、ついにユニフォームを脱ぐ。

彼は間違いなく、ゴールキーパーの革命児だった。
今後は指導者として、後続のゴールキーパーに革命を起こすように願う。

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